ナポリピッツァについて(誕生の要素)

 ナポリ・ピッツァの誕生には二つの要素があります。
・土地
・飢餓(飢饉)
 この二つの異なるものが、歴史、環境、社会的に重なり、ナポリ人の美食文化の重要な部分である人気メニューになるという、変化を生み出しました。

土地
 ナポリ・ピッツァの誕生はカンパニア地方の土地にリンクしています。そこでは、アメリカから持ち込まれたトマトが、栽培に適した自然環境を見つけ、異なった形で栽培することができました。
 カンパニアの土地では、水牛が自生しています。そこで、サンタマリア・カプア・ヴェテレの修道院では、修道士が「provatura」と呼ばれているチーズを作りました、そして、これがモッツァレッラチーズになりました。
 まだ今でもカンパニアの土地では、牛が草を食べており、農民は、fior di latteと呼ばれているチーズを作っています。
 カンパニアは、オリーブの木が無限に生い茂る土地です。海は漁師の豊かな基盤で、漁師は収穫した魚を市場に持ち込み、売れ残りの魚をピッツェリアに持ち込みます。  

飢饉
 ナポリは800年の間に11王朝の統治を受け、その間に飢饉、伝染病と自然災害を繰り返し経験しました。ナポリの人々は統治者によってほとんど愛されませんでした、ナポリ人は時間とともに統治者の性向を学びました。統治者は助けてくれないことを。
 このような厳しい生活を紛らわすために、ナポリ人はウィットに富んだ生活を送ることと、不屈の精神を表明することで快適さを得ることを学びました。これらは貧困に尊厳を与える必要から生じた天性です。
 飢饉は「何でもないこと」さえ役に立つようにすることができるようにする人間の創造力を刺激しました。その結果、人々は生き残るために種々の材料で作られているピザ・パンをつくり出しました。そして18世紀の前半の時代に、美食革命と呼ばれる食生活の変化が加わりました。このような中で、貧困の中で産み出された食べ物ピッツァも、あらゆる人々の食卓に上るようになったのです。 ピッツァはナポリ人の誇りであり、ナポリ人の料理のアイデンティティを象徴するのに不可欠な料理なのです。飢餓が産み出した庶民の知恵が、食生活の歴史を変えたのです。
 ブーシャールが1847年に書いた本の中には次のようなピッツァの描写があります。ここで書かれていたことは今でも変わらないものです。

 ピッツァはナポリの人々特有のデリカテッセンであることから、イタリアの権威ある用語辞書であるクルスカ辞書の中ではPizzaという単語を見つけることが出来ません。ピッツァを理解しようと思うなら、イタリア語の用語辞書ではなくピッツァ生地を手に取ってください。
 のし棒でそれを大きくするか、あなたの手でそれをたたいてそれを伸ばしてください。あなたが望むものは何でも載せて、オリーブオイルまたはラードで整えてください。オーブンで料理して、それを食べてください。そうするとあなたはピザが何であるか分かるでしょう。

 ピッツァに類似したロールパンや白いピザは、ピッツァの初期のものと考えられます。 最も伝統的なピザは「coll'aglio e l'oglio」(ニンニクとオリーブオイル)でオリーブオイル、そして、一番上に塩、オレガノと細かく刻まれたニンニクのドレッシングがかけてあり、小さな魚が加えられることもあります。
 もう一つの伝統的なピッツァはおろされたチーズでおおわれています、そして、バジルの葉で覆われ、時折モッツァレッラ・チーズのスライスしたもの、ハム、トマト、ハマグリなどが加えられます。また食べ歩きが出来るようにピザ生地を使って具材を包み込むカルツォーネも古くからあるピッツァの一つです。
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