メールマガジン“ローマから吹く風”第18号:
ポルチーノ祭り/ジェラートの発明家ベルナルド・ブォンタレンティ

 
目 次
はじめに 秋はお祭りの季節
2.ポルチーノ祭り
3.ジェラートの発明家ベルナルド・ブォンタレンティ
4.旅の情報 ヴァーザリの回廊の一時公開
5.あとがき

1.はじめに 秋はお祭りの季節


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 夏の終わりから9月にかけてイタリア各地でSAGRA(サグラ)が催さます。SAGRAは祭りと訳すけれど、元々は「豊穣祭」みたいなニュアンスで、その土地の特産物の取り入れ時に行われ、村人に無料で特産物料理を振る舞って皆で食べ合うのがそもそもでした。まさに収穫の秋の代名詞です。今は町おこしに使われる場合が多いです。
 
 このメルマガでお伝えしているように、イタリア人はお祭りが大好き。ローマの江戸っ子、いえ生粋のローマッ子の山根さんのご主人はお祭りが大好きで、秋の週末はお祭り巡りとなるのが山根家の定番です。そうして各地のおいしいものを楽しむのがイタリア流の楽しみかた。その中でも人気が高いのがイタリア人が目の色を変えて物色するのが秋の味覚ポルチーノ茸をテーマにしたSAGRAです。山あいのいろんな村でポルチーノ茸をテーマとしたお祭りが開催されています。
 

2.ポルチーノ祭り

マンガ学校

マンガ学校

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 ローマから南東へ50キロほど行った丘の中腹にある小さな町、コッレ・ディ・フオーリもポルチーノ茸のサグラを町おこしに使っています。なにしろ、イタリア中どんな町でも古代ローマの足跡があるはずなのに、この新興の町には人を呼び寄せるものがなにもないのです。この街を検索してもこのサグラとサッカーしか出てきません。
 
 往く夏を惜しんで、「どこかの街で、夜に軽く食べてお散歩する」という夏の過ごし方の終焉を飾るべく、土曜の夜にこのサグラに行ってみました。メイン通りには、お祭りの印でもあるイルミネーション。町おこしにサグラを使うだけあって、町の見本市のような様相をしています。どのサグラにもある屋台の他に町で営業している店も屋台を出ています。それだけでなくお祭りに定番のチープなおもちゃだの、音楽CDだの、アフリカの木工だの、あると便利な道具(家に持ち帰ると使わない代物)だののキワモノ屋台が並んで、いやが上にもお祭り気分を盛り上げます。
 
 そうした空気を十分に吸ってそぞろ歩きすると、中央の広場のメイン会場に到着してポルチーノを使った料理を味わうお時間となります。ドイツのオクトーバーフェストみたいな感じでテントの下、長いテーブルとベンチ式の椅子が並んで、相席で食べる形式です。この街のサグラは、他の街が奥さん連中を組織して野外仮設キッチンで料理の腕を振るってもらう形をとるのに対して、町にある三軒のレストランがそれぞれに自分たちの仮設キッチンで料理をしていました。町おこしだな、と思わせる雰囲気でした。
 
 ポルチーノキノコをフライパンで料理したソースとトリュフで和えたパスタ。ポルチーノとトリュフという臭い取り合わせは、なかなかハードで美味しい。パスタは卵で練ったもの。これはCELLITTI(チェリッティ)という名前のローマ近郊特産のパスタ。うどんのように太い。スーパーなどでは見られない種類のパスタです。この他にポルチーノのフェットチーネを選びました。パスタの盛りが良かったので、もはやお腹いっぱい。セコンド(第二の皿・タンパク質)には三人で一皿。 羊の串焼きとポルチーノキノコのローストをいただきました。
 パスタ三皿とこれで30ユーロ(約4000円)。決して高くないけどそう安くもない。サグラならもうちょっとおまけしてよと思う山根さんでした。
 
ポルチーノ茸祭りは→詳しくはこちらから

3. ジェラートの発明家ベルナルド・ブォンタレンティ


マンガ学校

マンガ学校

マンガ学校

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 16世紀のフィレンツェはメディチ家の君主コジモ1世の統治下にありました。メディチ家のお抱え建築家、彫刻家、画家、軍事エンジニア、演劇デザイナーであったフィレンツェ生まれのベルナルド・ティマンテ・ブォナコルシ(Bernardo Timante Buonacorsi、1531年‐1608年)は、その多彩な才能ゆえに、ベルナルド・ブォンタレンティ(Bernardo Buontalenti)と呼ばれるようになりました。 ブォンタレンティのブォンは良いとかすばらしいという意味、そしてタレンティというのは才能の複数形です。
 ルネサンスの天才といえばレオナルド・ダ・ヴィンチが筆頭に挙げられますが、フィレンツェで16世紀に活躍したベルナルド・ブォンタレンティも後世に残る数多くの発明と功績を残しました。例えば、フィレンツェのウフィッツィ美術館内にある八角形の小部屋トリブーナは、真珠貝を散りばめた天蓋が宝石箱のように美しく、空気、水、火、土の四元素をモチーフにしてブォンタレンティが設計したものです。類まれな発想力は、同じくフィレンツェのボーボリ庭園にある洞窟を模倣した見事なブォンタレンティの洞窟にも見ることができます。
 
 奇想天外な発想を形にする才能に恵まれたブォンタレンティの功績の一つにジェラート製造機の発明があります。 木製の桶に氷と塩を入れて氷点下にし、ジェラートの材料を入れた熱伝導率の良い銅の容器をその中に入れて、手動式で攪拌するジェラート製造機を作ったと伝えられています。氷に塩を混ぜるとマイナス20度くらいにまで急激に下がることは科学の実験でも証明されていますから、現代のような電気を使う冷凍庫やジェラートマシーンがない時代にも、アイデアさえあればジェラート作りも可能だったということなのでしょう。
 
 ブォンタレンティは、メディチ家の晩餐会の際には大がかりな演出をも含めた宴会係を任されていました。フィレンツェの伝統的なお菓子のズコットも、美食家であったブォンタレンティがメディチ家のある日の晩餐会の為に創作したレシピだと言われています。紀元前から氷や雪と果汁を混ぜたシャーベットに近いものは存在していましたが、ブォンタレンティが発明した卵やクリームを材料に用いたジェラートは、より現在のジェラートに近い斬新的なレシピだったのです。歴史的記述によれば、1600年にマリア・デ・メディチ(Maria de’Medici)とフランス王アンリ4世(Henri IV)の婚礼の際に国内外の主賓客にブォンタレンティ考案のクリーム系のジェラートを出したとされています。
 
 この婚礼の際に提供された砂糖、牛乳、卵、クリームを組み合わせたジェラートは『ブォンタレンティ(Gelato Buontalenti)』または『クレーマ・フィオレンティーナ(Crema Fiorentina)』という名前で、今日でもイタリアのジェラート屋で食べることができるので、イタリアにお越しの節は是非試してみてください。
 
ジェラートの発明家ブォンタレンティ→こちらから

4.旅の情報 ヴァーザリの回廊の一時公開


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 フィレンツェのベッキオ橋に上にあるヴァーザリの回廊は、メディチ家の人々が宮殿からアルノ側の対岸に逃れるために密かに建設したものです。この回廊にはメディチ家の人々が楽しむために数多くの美術品が並べられている他、ここから眺めるフィレンツェの景色は絶景として人気を博しています。
 
 ここは限られた人しか入ることのできない場所で、スペースの問題もあって、人数を絞った予約入場制となっておりました。ところが今年の7月にフィレンツェの消防署より建物が安全性の基準を満たしていないとの指摘があり、閉鎖されていました。消防署の指摘を踏まえ検討が行われた結果、ヴァーザリの回廊の改修工事が行われることに成りました。当分の間、ヴァーザリの回廊を見ることができなくなることから、フィレンツェ市は10月4日から11月30日の間、一時的にジヴァーザリの回廊を公開することにしました。
 
 イタリアで“当分”と言ったら平気で10年はかかってしまいます。もしおこしになるチャンスがおありで、ヴァーザリの回廊を見たいと思われる方は、是非ご覧になってください。これも申込制となっておりますので、詳しくはinfo@ivc-net.co.jpにお訪ねください。

5.あとがき

 プロチダ島は漁業が盛んで、近海、遠海から新鮮な魚がこの島に毎日届き、ナポリ、カプリ、イスキアへ運ばれています。山根さんはここで思いがけない、海鮮料理の見事なハーモニーを味わうことになります。プロチダ島で食事をするなら、レストランLa Conchiglia (ラ・コンキリア、貝)を逃してはいけない。新鮮な魚介類を使ったオリジナル料理。イタリア中探してもこんな店には滅多にお目にかかれないと、山根さんは意気込んでいます。
 
 次回は空きの終わりの家族総出のイベント、保存用トマトとオリーブオイル作りについて山根さんが報告します。
 
 レストランLa Conchigliaは→こちらから

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