メールマガジン“ローマから吹く風”第12号:
ミケランジェロのローマ/ローマの復活祭の食卓

 
目 次
1.はじめに
2.ミケランジェロのローマ
3.ローマの復活祭(イースター)の食卓
4.ポンペイ人の楽しみ
5.旅の情報 主要駅のプラットホームの入場規制
6.あとがき トマトの季節の始まり

1.はじめに


 イタリアでは老人を介護するときヘルパーさんを雇うことが一般的です。この場合、安い賃金で雇えるウクライナやモルディーバの移民女性が住み込みで介護というケースが多いです。当然食事も作ります。もちろん住み込みの女性達は奴隷ではないのですが、低賃金で働いてもらうことには、少し違和感があります。

 長生きは医療が科学の面からのみ、臓器の寿命引き伸ばしをいたずらにしているだけのような気がします。ただ生きていていいのだろうか、と何をするにもヘトヘトに疲れ、気力を無くしてただテレビの前にいるようになった舅を見てると思います。人はパンのみにて生きるにあらず。生きることもそうですが、他のあらゆる面で質を問わなくなってしまったような気がします。

2.ミケランジェロのローマ

マンガ学校
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マンガ学校

 美術史においてルネサンスの最盛期は、1450年から1527年のローマ略奪迄と言われています。このうち前期はメディチ家の支配するフィレンツェで、後期は教皇をパトロンとしたローマで展開されました。フィレンツェで青春を過ごし、1496年に活動の場をローマに移し、88歳で亡くなる迄ローマで活躍したミケランジェロは、最も最盛期のルネサンスを体現した芸術家です。

 ルネサンス期の3大巨匠としては、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロが挙げられます。このうち、ラファエロは有り余る天分に恵まれながら夭折し、レオナルドは天才であるが故に、ふさわしい場所を得られず,自己実現が十分出来ませんでした。これに対してミケランジェロは、ルネサンスの万能人として、彫刻家、画家、建築家、詩人として大きな足跡を残しています。実はルネサンス,マニエリスムがあって,バロックの花が咲くという西洋美術史上の流れの中で、ミケランジェロは、芸術のあらゆる分野で、大きな影響を与えるという画期的な役割を果たしています。

 ルネサンス期芸術家の評伝を書いたフィレンツェの画家で建築家のジョルジョ・ヴァザーリ(ヴァザーリの回廊でも知られる)はミケランジェロをルネサンス期の芸術における頂点として絶賛し、その作品は何世紀にもわたって西洋美術界で通用するだろうと語っています。ヴァザーリの予言は、的中したと言えるでしょう。

 ローマを歩いてみると、様々な場所で、ミケランジェロの作品やミケランジェロが感動を得た美術品が、今も残されていることを感じます。如何にミケランジェロが残した足跡が大きく、その現物を目に出来る幸せを、ローマにいると感じます。

 ローマで見ることの出来るミケランジェロの主な作品は次のようです。
システィーナ礼拝堂の「システィーナ礼拝堂天井画」、祭壇壁画「最後の審判」、サンピエトロ大聖堂にある「ピエタ」、サンピエトロ大聖堂の改修設計、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会のモーゼ像、サンタ・マリーア・デリ・アンジェリ教会の設計、カンピドリオ広場の設計、ピア門の設計。

ミケランジェロのローマは→http://www.ivc-net.co.jp/guide/rome/miche.html

3.ローマの復活祭(イースター)の食卓


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 復活祭はイエス・キリストが処刑され復活したといわれることにちなんだお祝いです。その年のイースターは春分の日のあとの最初の満月から数えて最初の日曜日と定められていて、2016年は3月27日になります。この日は、イタリアでは、クリスマスと同様家族でごちそうを食べる日です。

 チーズパンとCorrarinaと言うサラミがローマでは定番。お正月のお雑煮が各地で違うように復活祭の定番もイタリア各地で違います。ノンナ(姑)は自分では食べないけど、これが無いと機嫌が悪いから、必ず用意します。

 メインの肉についてはローマでは子羊に決まっています。そして復活祭定番のパンケーキ。クリスマスのパネットーネに似ています。上にメレンゲとアーモンドがついているのがパネットーネと違うところ。

 中におまけが入った卵型チョコレートも定番。定番がたくさんあることが季節のお祭りの条件です。子供はいくつもらったかでワクワク度が違います。息子は既にその時期を過ぎたけれど「わー!おまけはなんだろう!」と演じてくれる、家族のお祝いです。


4.ポンペイ人の楽しみ


マンガ学校
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 火山灰に覆われて滅びたポンペイは、もともとはローマの国際交易都市であったことから、復元された街並は、ローマ時代の生活を生き生きと、残しています。この中で、ローマ時代の人々が何を娯楽にしていたかが良くわかります。

 生活の楽しみの中で「性」は古今東西変わらずに重要な位置を占めていました。ここ、ポンペイでも同じ。ポンペイでは当時の売春宿が復元されています。入ってすぐの壁の上方に「メニュー」が絵で描かれています。ポンペイは国際都市だったので言語の問題もあったのでしょう。どのようなサービスがされるか絵で表現されています。入り口近くにある小さな部屋。一階は値段が安く、高級客はお二階ヘ。声が漏れたりしないのか…と余計な心配をしてしまうけど、それも客の呼び込みの一環になったようです。かなりおおらかなようでした。

 テアトロと呼ぶ劇場は、当時の大事な娯楽の一つのようです。ポンペイにも劇場が二つ有ります。自然の傾斜地を利用して建設された大劇場。5000人収容できたということです。大理石部分は当時のものがそのまま残っています。小劇場は人工的に傾斜を作って建設。舞台部分から客席に向かって喋ると声が響くのがわかります。

 ローマ人の楽しみは何と言ってもお風呂。壁が二重になっていて、その間を蒸気が通って部屋全体を暖める構造になっています。大きな銅製の鉢。炭を大量に置いて水をかけ、蒸気を大量に出してサウナのようにしていました。1センチ角の白黒の石でモザイク。これはローマのカラカラ浴場で発見されたものと同じ様式。後に、ムッソリーニが建設した競技場にも、同じやり方でモザイクを施した広場があります。Duce(ムッソリーニ総督の別の呼び名)のモザイク。古代ローマ時代は電気というエネルギーがなかっただけで、生活の文化的水準はずいぶん高かったと、遺跡をめぐるたびに思います。

ポンペイ人の楽しみ→http://www.ivc-net.co.jp/cult/kaze/260.html


5.旅の情報 主要駅のプラットホームの入場規制

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  ローマのテルミニ駅など主要駅のプラットホームに入ることができなくなりました。中に入る為には列車のチケットを提示しなければならなくなっています。これまでイタリアにこの種の改札は無かったのですが,テロ対策強化の一貫として導入されています。今までは待ち合わせを駅にすることは普通だったのですが,これ以降駅の構内で待ち合わせするのは非常に困難になっています。

プラットホームの入場規制→http://www.ivc-net.co.jp/guide/info/traffic.html#info10

6.あとがき トマトの季節の始まり


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 日曜日の復活祭の翌日、月曜日はPasquettaという「小さな復活祭」で祭日です。この日もイタリアではみんなが集って食べることになっています。お祭り=お食事。いかにも食いしん坊のイタリアです。  

 自然に恵まれたイタリアでは、4月の終わり頃からTond a grappolo(房状の丸いトマト)が市場に出回り始めます。そして夏の終わりに出回り始めて10月位まで収穫されるトマトソース作りには欠かせないサンマルツァーノでトマトの季節が終わります。半年近くにわたって、それぞれのおいしいトマトをイタリア人は楽しんでいます。次回はこのトマトのお話とイル・ポスティーノの島プロチダ(Procida)島を報告します。

 山根さんのページは→こちらから

7.メールマガジン「クチーナ・イタリアーナ(イタリアの台所)」の発行


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 日本に伝えられ、普及しているイタリア料理や食材は、食物検疫のハードルがあり、まだイタリアの"食"の氷山の一角にしか過ぎません。豊かな自然に囲まれたイタリアは、地方ごとに様々な食材があり、おいしい料理があります。クチーナ・イタリアーナ(イタリアの台所)のメールマガジンは、そんな奥の深いイタリア料理や日本ではあまり知られていない食材、日本で手に入る食材などイタリアの”食”についてご紹介し、一緒に味わっていただくものです。

<クチーナ・イタリアーナ(イタリアの台所)>
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