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ローマ再訪・クリスチャンのローマ

 キリスト教が世界宗教として発祥したローマは、カソリック信仰において、最も神聖な土地となっています。カソリック教会の総本山であるバチカンがあるだけでなく、4大聖堂(Basilica)や、初期キリスト教の伝説が伝わる場所が各所にあり、多くの巡礼者を集めています。
 
<ローマ4大聖堂(Basilica)>

サンピエトロ大聖堂
 使徒ピエトロの祀る聖堂でカソリック教会の総本山。聖ピエトロのお墓があります。隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、全体でバチカン市国となっています。聖ピエトロが処刑された競技場に4世紀初頭にローマ帝国で初めてキリスト教を公認したコンスタンチヌス1世により聖ピエトロを祀る聖堂として作られました。この聖堂の中にある彫刻「ピエタ」はミケランジェロの最高傑作のひとつとして知られています。
 詳しくは→こちらから

サン・パオロ大聖堂
 4世紀初頭にローマ帝国で初めてキリスト教を公認したコンスタンチヌス1世により12使徒の一人である聖パウロを祀る聖堂として作られました。聖パオロもローマで処刑されています。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂
 カソリック信仰において、特に大切にされている聖母マリアを祀っています。この聖堂は、聖母マリアにささげられた聖堂の中で最も重要と考えられています。聖座がアビニョンからローマに戻された際に、ラテラノ宮殿が荒れていたことから、バチカン宮殿が出来る迄の間、教皇が住んでいました。ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物です。
 詳しくは→こちらから

サン・ジョバンニ教会(ラテラノ大聖堂)
  ラテラノ大聖堂と宮殿からなり、宮殿は法皇の住居でした。古代ローマ時代に、執政官を務めていたラテラヌス家という一族が豪華な邸宅を構えていたことから、その名前が残っています。4世紀初めに、教皇ミルティアデスが住居とするようになってから、14世紀に聖座がアビニョンに移される迄、歴代教皇の住居でした。10世紀に洗礼堂が新築されたのを機に、聖堂を洗礼者ヨハネ(イエスに洗礼を行った先駆者)に再奉献しました。さらに12世紀には聖堂と宮殿が使徒ヨハネ(新約聖書に記載されているイエスの使徒の一人)に奉献されました。ラテラノ大聖堂は二人のヨハネを記念する聖堂として崇敬を集めています。ローマの多くの教会のランク付けの中で最上位に置かれる教会です。

聖ピエトロ、聖パオロにちなんだ教会

サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会(聖ピエトロの鎖)  サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会は、聖ピエトロがエルサレムの獄中でつながれていた鎖とローマのマメルティーノ牢獄につながれていた鎖で捕らわれていた時の鎖を祭るために5世紀に建てられ、その後15世紀に再建された教会です。鎖は主祭壇の下に収められています。鎖は毎年8月1日に信者に開帳されています。

 祭壇の中央にはミケランジェロのモーゼ像があります。法王ユリウス2世から依頼を受けて製作したもので、1513年に完成させたものです。ミケランジェロの3大彫刻の一つに数えられています。
 詳しくは→こちらから

サンセバスティアーノ教会
 殉教者・聖セバティアヌスの墓の上に建っている教会です。この教会の地下にカタコンベがあります。初期のキリスト教時代のもので、迫害されていたキリスト教徒の遺骨が納められています。3世紀にこのカタコンベに聖ピエトロと聖パウロの遺骨が移されたことから、大勢の巡礼者が訪れます。
 
マメルティヌスの牢獄(聖ピエトロの牢獄)
 古代ローマのフォルム・ロマヌムにあった牢獄です。聖ピエトロや聖パオロが拘置されたことがあることで、知られています。中世期になるとキリスト教の礼拝に使われるようになり、現在は教会になっています。礼拝堂にある祭壇の十字架は上下さかさまになっていて、聖ピエトロの言い伝えに基づいた聖ピエトロ十字になっています。

ドミネ・クオヴァディス教会
 ローマから逃げ出そうとした聖ピエトロがキリストに出くわし「どこへいらっしゃるのですか?(ラテン語でクオ・ヴァディス)」と 聞くと「もう一度磔になりに行く」と答え、聖ピエトロは自分の宗教家としての間違いに気付いて、ローマに戻って自首し、磔になった‥と言う伝説の場所に建てられた教会です。

サン・パオロ・アッラ・レゴラ教会(聖パオロの家)
 聖パオロがローマに移り住んだ家の跡に建てられた教会です。ここからキリスト教の布教活動を行ったということで、巡礼の方も訪れます。この家は、古代ローマの集合住宅を意味するInsula(インスラ)だったところで、今も地下は当時のままとなっており、このインスラの見学者も絶えません。

トレ・フォンターネ修道院(三つの泉修道院)
 キリスト教が公認される前から修道院だった所です。聖パオロが処刑された場所に出来たものです。聖パオロの落とされた首が地面に三回バウンドし、バウンドした場所から泉が湧いたという伝説があり、名前の由来になっています。教会内では未だにその泉が水の音をさせています。
 
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
 バロック期の巨匠・カラヴァジオの「聖ピエトロの磔刑」「聖パウロの改宗」が残されています。サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のマタイものにひきつづいて描かれた作品で、当時30歳だったカラヴァッジョは、名声をゆるぎないものにしたと言われています。
 
<巡礼者が訪れる場所>
 
アッピア街道沿いのカタコンベ
 もともと古代ローマの地下墓地を意味していました。この墓地の古い呼び名「カタクンバス」がカタコンベの由来となっています。 しかし初期のキリスト教徒がローマ帝国の迫害を逃れ、ここで信仰を守りつづけたことから、キリスト教信者の礼拝堂、墓地等をさすようになっています。
スカラ・サンタ(聖なる階段)
 スカラ・サンタはエルサレムの総督であったピラトの官邸にあったもので、キリストが死刑判決を受けて下りた階段です。これをコンスタンティヌス帝の母ヘレナがエルサレムから持ち帰ったとされています。
 
サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会(聖十字架教会)
 キリスト教の熱心な擁護者であったヘレナ皇后(キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝のお母さん)が、パレスティナ地方からの聖遺物を奉るために建てたといわれ、キリストの貼り付けに使われた十字架、釘の破片が聖遺物として祀られています。


 
日本人ガイドが案内する「クリスティアン・ローマ」体験コース
9時ホテル出発→9時半・サン・ジョバンニ教会スカラ・サンタサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会 11時半→12時・アッピア街道クオヴァディス教会→どこかで簡単に食事
1時半・サン・パオロ大聖堂→2時半・サンタ・マリア・マッジョーレ(4大聖堂の一つ)→3時半・サン・ピエトロ大聖堂(4大聖堂の一つ)4時半→5時・ホテル到着
 
料金(税別):
 4人迄300ユーロ(市内交通費、飲食費、入場料は含んでいません)
日本人ガイドが案内する「聖ピエトロ、聖パオロにちなんだ教会巡り」コース
9時ホテル出発→9時半・サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会→10時半・徒歩と地下鉄でサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会→タクシーでサン・パオロ・アッラ・レゴラ教会→12時半この近辺で食事
1時半バスかタクシーでベネツィア広場→聖ピエトロの牢獄→徒歩でフォロ・ロマーノをコロッセオまで外から見学→3時半コロッセオから地下鉄かタクシーで聖ピエトロ大聖堂→地下鉄かタクシーで聖パオロ大聖堂→タクシーか地下鉄でトレ・フォンターネ修道院・教会(聖パオロが処刑された場所)→5時ホテルかご希望の場所にお送りして解散。
 
料金(税別):
 4人迄300ユーロ(市内交通費、飲食費、入場料は含んでいません)