メディチ家の礼拝堂
フィレンツェの中心となっているサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)よりは小さいものの、好対象となっているのが王妃の礼拝堂のドームです。
このドームはコシモ・メディチが計画を進めたものですが、実際には17世紀になってフェルディナンド1世によって実現しました。フェルディナンド1世は、この建設に当たってプランを募集し、コシモの息子であるジョバンニ・メディチの案が採用されました。
この建設は1604〜1640年の間はマッテオ・ニジェッティが担当しました。
そして最終的に完成したのは、18世紀になってからです。この建物はバロック様式が活かされているフィレンツェ人による最初のフィレンツェの建物です。
ミケランジェロ - 聖母子と使徒
<ミケランジェロ- ジュリアーノの墓所>
ジュリアーノは偉大なるロレンツオ・メディチの3番目の息子で、教皇レオ5世とジュリオ・メディチの兄弟でした。非常に高い期待を集めていた彼は、わずか38歳で1516年に亡くなりました。
彼の墓はロレンツオの墓と対象をなしており、彫刻は昼と夜を分担しています。石棺の上に彫られたジュリアーノの彫刻は、1526年に制作が開始され、1533年に完成したものです。
黙想をシンボライズした姿の若いプリンスは、軍装をまとっています。彫像のこのような形態は、他のミケランジェロの作品と共通するものです。
ジュリアーノの墓所(細部)
<ミケランジェロ- ウルビーノ候ロレンツオの墓所>
この墓所とジュリアーノの墓所は分けて考えられないほどの同一性を持っています。ダイナミックな造形の中に、彫刻がロジカルに調和しながらはめ込まれています。それはあたかも定められた使命に従っているかのようです。ミケランジェロはこの彫刻をモントルソーリと共同で彫り上げました。
ウルビーノ候ロレンツオの墓所 (細部)
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