映画 「イル・ポスティーノ」が撮影されたプロチダ島

1.はじめに
あけましておめでとうございます。コロナ渦の中でいかがお過ごしでしょうか。あるいは自粛のためまだ在宅の方も多いかと存じます。
イタリアでは一時コロナ・ウィルスの情勢が落ち着きを見せるようになり、8月よりビジネスでは2週間の隔離期間なしに、120時間の滞在許可が下りるようになりました。これを利用して、8月と10月に買付でイタリア現地を訪問された弊社のお客様がいます。どこでも日本からの日本人は見かけなかったという事で、日本からの日本人は珍しがられたということです。とはいうものの、11月になると感染の拡大が見られ、イタリア全土をレッド、オレンジ、イエローの三つに分けてロックダウンする首相令が出されています。
現地の日本人通訳さんやガイドさんは仕事がなくなって、苦労されています。早く事態が改善されて、自由に行き来することができるようになることを願って止みません。
イタリアでは一時コロナ・ウィルスの情勢が落ち着きを見せるようになり、8月よりビジネスでは2週間の隔離期間なしに、120時間の滞在許可が下りるようになりました。これを利用して、8月と10月に買付でイタリア現地を訪問された弊社のお客様がいます。どこでも日本からの日本人は見かけなかったという事で、日本からの日本人は珍しがられたということです。とはいうものの、11月になると感染の拡大が見られ、イタリア全土をレッド、オレンジ、イエローの三つに分けてロックダウンする首相令が出されています。
現地の日本人通訳さんやガイドさんは仕事がなくなって、苦労されています。早く事態が改善されて、自由に行き来することができるようになることを願って止みません。
2.映画 イル・ポスティーノが撮影されたプロチダ島

プロチダ島はナポリ湾をちょっと出たところ、イスキア島の手前にある4平方キロの小さな島です。カプリやイスキアと大きく違うのは、観光が産業の中心ではないこと。海で生活の糧を得ている。漁業の他に(近海、遠海から新鮮な魚が毎日届き、ナポリ、カプリ、イスキアへ運ばれる)国立の航海技術高校があり、世界中のイタリア船籍の船でこの学校を出た人々が働いています。ここを訪れると、土産物だらけの街ではなく、普通に生活がある土地を見ることができます。
プロチダ島は世界的にヒットしたイタリア映画「イル・ポスティーノ」が撮影された島として、一躍有名になりました。「イル・ポスティーノ」は、1950年代の一時期、祖国チリを追われた実在の詩人パブロ・ネルーダが、ナポリ湾のカプリ島に身を寄せた史実にもとづき、架空の漁村を舞台にマッシモ・トロイージ扮する郵便配達夫(イル・ポスティーノ)と心を通わせる名作です。実際のパブロ・ネルーダが一時滞在していたのは、カプリ島ですが。
プロチダ島は世界的にヒットしたイタリア映画「イル・ポスティーノ」が撮影された島として、一躍有名になりました。「イル・ポスティーノ」は、1950年代の一時期、祖国チリを追われた実在の詩人パブロ・ネルーダが、ナポリ湾のカプリ島に身を寄せた史実にもとづき、架空の漁村を舞台にマッシモ・トロイージ扮する郵便配達夫(イル・ポスティーノ)と心を通わせる名作です。実際のパブロ・ネルーダが一時滞在していたのは、カプリ島ですが。
写真の立て札があって、「ここでトロイージは撮影をした」と書いてある。イル・ポスティーノ主演のマッシモ・トロイージはナポリの英雄なのだ。だから、この立て札にチリの詩人パブロ・ネルーダを演じた世界的俳優フィリップ・ノワレの名前はありません。坂道が右手に見えてます。映画ではこの坂部分を写さないようにしてました。この道は「ポスティーノの海岸通り」の名前にもなってます。
もう一つ「イル・ポスティーノ」絡みの場所、「Marina Corricella」。小さな漁港で、スペイン風の建物が独特の異国情緒を出している所。この港に郵便局と郵便配達夫が恋するベアトリーチェの店がある、ことになっています。ここの店の前の広場も「マッシモ・トロイージ広場」と名前が変わっています。島の至る所に「イル・ポスティーノ」絡みの場所があります。ポスティーノを撮影した海岸、漁港、ヒロイン・ベアトリーチェの居酒屋兼食堂、果てはポスティーノ広場やポスティーノ通りまであります。
プロチダ島その1→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/359.html
プロチダ島その2→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/360.html
もう一つ「イル・ポスティーノ」絡みの場所、「Marina Corricella」。小さな漁港で、スペイン風の建物が独特の異国情緒を出している所。この港に郵便局と郵便配達夫が恋するベアトリーチェの店がある、ことになっています。ここの店の前の広場も「マッシモ・トロイージ広場」と名前が変わっています。島の至る所に「イル・ポスティーノ」絡みの場所があります。ポスティーノを撮影した海岸、漁港、ヒロイン・ベアトリーチェの居酒屋兼食堂、果てはポスティーノ広場やポスティーノ通りまであります。
プロチダ島その1→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/359.html
プロチダ島その2→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/360.html

3.パルテノペア共和国市民殉難碑

ナポリではフランス革命後の1799年に、ナポレオンの支援でパルテノペア共和国(パルテノペアはナポリの古語名)という市民共和国が樹立され、半年ほど存在していました。国名はナポリの古名のパルテノペにちなみます。ナポレオンによりナポリ王国が打倒されたあとに樹立され、まもなくナポリ国王側の反撃により、あえなく滅亡した自由共和国です。
プロチダ島にある 殉難 碑には「1799年の自由の戦い。この場所に於いて、非道な手によって倒された」。そして名前と職業が続きます。祭司が二人、地主、公証人、外科医、薬剤師、書記、職人がそれぞれ一人、農夫が二人。「全員プロチダの住民で、不法な裁決により、文化生活と過去の一部が抹消された。」と記載され、最後に「殉教者と宣言する」と書いてあります。
米国のスーザン・ソンタグの歴史小説「火山に恋して」は、この時代のナポリのブルボン王朝を舞台にして書かれています。まさにこの小説で書かれていた、立ち上がった市民がシチリアに避難していたブルボン王朝がナポリに復帰した際に、市民が虐殺された史実そのものがここにあります。この丘の上に大砲が二台ありました。1788の数字が見える。もちろん年のこと。この市民戦争で使われたのでしょう。。。。
プロチダ島その3→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/361.html
プロチダ島にある 殉難 碑には「1799年の自由の戦い。この場所に於いて、非道な手によって倒された」。そして名前と職業が続きます。祭司が二人、地主、公証人、外科医、薬剤師、書記、職人がそれぞれ一人、農夫が二人。「全員プロチダの住民で、不法な裁決により、文化生活と過去の一部が抹消された。」と記載され、最後に「殉教者と宣言する」と書いてあります。
米国のスーザン・ソンタグの歴史小説「火山に恋して」は、この時代のナポリのブルボン王朝を舞台にして書かれています。まさにこの小説で書かれていた、立ち上がった市民がシチリアに避難していたブルボン王朝がナポリに復帰した際に、市民が虐殺された史実そのものがここにあります。この丘の上に大砲が二台ありました。1788の数字が見える。もちろん年のこと。この市民戦争で使われたのでしょう。。。。
プロチダ島その3→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/361.html
4.旅の情報:レストランLa Conchiglia

プロチダ島で食事をするなら、レストランLa Conchiglia (ラ・コンキリア:貝)を逃してはいけない。ナポリ湾の新鮮な魚介類を使ったオリジナル料理です。
前菜には、海の幸ソテーミックスをお願いしました。タコのマリネ、海鮮類のアランチーニ、貝のグラタンなどなど。早速プロチダ名物のレモンをかけて美味しくいただきました。プリモ・ピアット(第一の皿)には「リコッタチーズをキャラメル包みにしたパスタにムール貝とズッキーニのソースを和え」「イワシと緑の唐辛子と胡椒出会えたスパゲッティ」をいただきました。セコンド・ピアット(第二の皿)には、ニシカンバチのグリル、ルッコラ添えです。ドルチェ(デザート)は、プロチダ名物のレモンクリームのトルタ。あまりにもおいしいので、翌日もここで食べたほどでありました。
プロチダ島その1→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/359.html
プロチダ島その2→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/360.html
前菜には、海の幸ソテーミックスをお願いしました。タコのマリネ、海鮮類のアランチーニ、貝のグラタンなどなど。早速プロチダ名物のレモンをかけて美味しくいただきました。プリモ・ピアット(第一の皿)には「リコッタチーズをキャラメル包みにしたパスタにムール貝とズッキーニのソースを和え」「イワシと緑の唐辛子と胡椒出会えたスパゲッティ」をいただきました。セコンド・ピアット(第二の皿)には、ニシカンバチのグリル、ルッコラ添えです。ドルチェ(デザート)は、プロチダ名物のレモンクリームのトルタ。あまりにもおいしいので、翌日もここで食べたほどでありました。
プロチダ島その1→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/359.html
プロチダ島その2→https://www.ivc-net.co.jp/cult/wind/2020/360.html
5.あとがき
イタリアの年末年始は25日のクリスマスで大きな山場を迎え、26日の聖ステファノの日、31日の聖シルベストロの日そして大晦日の大騒ぎと続きます。1月1日は朝のんびりして、特別な昼ごはんを食べます。このごちそう攻めは6日のベファーナの日まで続きます。次回はイタリアの年末年始とコロナ禍のクリスマスを紹介します。