
死にゆく街、チビタ・バニョレジョへ遠足
「死にゆく街」と言われるチビタ・ディ・バニョレジョへ日帰り遠足してきました。チビタ・ディ・バニョレジョは、2500年以上前にエトルリア人によってつくられた街ですが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、「死にゆく街」(il paese che muore)とも言われています。
なぜかアブルッツォ州だと思いこんでしまったけど、ローマが州都のラツィオ州内でした。ビテルボが最寄り。でも、我々は車で。イタリアは車社会なのです。バニョレジョという街と橋でつながっているのがこの「チビタ・ディ・バニョレジョ」。バチャルツアーは→こちらをクリック。
なぜかアブルッツォ州だと思いこんでしまったけど、ローマが州都のラツィオ州内でした。ビテルボが最寄り。でも、我々は車で。イタリアは車社会なのです。バニョレジョという街と橋でつながっているのがこの「チビタ・ディ・バニョレジョ」。バチャルツアーは→こちらをクリック。
橋の長さは300m
車で行けるのはバニョレジョの駐車場まで。駐車場からチビタへ渡る橋まで巡回バスが往復1ユーロで出てました。橋の長さは300m。でも、巡回バスを降りてからの距離を含めると約1kmの距離を歩くことになり、最後の登り坂がきついです。 ちなみに鉄筋コンクリート製の橋は1965年製。それまでは、橋ではなく地形に沿って昇り下りの差が激しいバニョレジョにつながる道があったようです。何れにしても方法は徒歩のみ。
中部イタリアにはエトルスク起源の街が多く、ここもその一つ。ちょっと小高い丘にある古い街はエトルスク起源と思って間違いありません。エトルスクはどんどん道を作って、どんどん領地を広げて行った古代ローマと違って、山(丘)自体を要塞として守りの姿勢で街を作る人々だったそうです。今残っているのは中世時代の街。 街への入り口は、おきまりの門。門が一部を成すところの厚い石壁の中は涼しく、坂を登り切った人が必ず休んでました。
車で行けるのはバニョレジョの駐車場まで。駐車場からチビタへ渡る橋まで巡回バスが往復1ユーロで出てました。橋の長さは300m。でも、巡回バスを降りてからの距離を含めると約1kmの距離を歩くことになり、最後の登り坂がきついです。 ちなみに鉄筋コンクリート製の橋は1965年製。それまでは、橋ではなく地形に沿って昇り下りの差が激しいバニョレジョにつながる道があったようです。何れにしても方法は徒歩のみ。
中部イタリアにはエトルスク起源の街が多く、ここもその一つ。ちょっと小高い丘にある古い街はエトルスク起源と思って間違いありません。エトルスクはどんどん道を作って、どんどん領地を広げて行った古代ローマと違って、山(丘)自体を要塞として守りの姿勢で街を作る人々だったそうです。今残っているのは中世時代の街。 街への入り口は、おきまりの門。門が一部を成すところの厚い石壁の中は涼しく、坂を登り切った人が必ず休んでました。

サン・ドナード教会
これまたお決まり、門をくぐると広場があり、広場には教会があります。サン・ドナード教会です。ファサードの造形は典型的なロマネスク様式。ロマネスク様式はゴシック(で、これはルネッサンスの前)の前に現れた様式で中世前期。
クグってみると、教会自体が建設されたのは5世紀だそうで、4世紀にコンスタティン皇帝がキリスト教を公認したばかり(と言ってもそこから100年経ってますが)かなり古い起源をもってることになります。公認されて”すぐ”に教会を作ったということは、領主が結構力を持っていたのかな?なんて考えました。人は古代ローマ以前からエトルスク人が住んでいたので、文化的な生活はしていたわけですが。
これまたお決まり、門をくぐると広場があり、広場には教会があります。サン・ドナード教会です。ファサードの造形は典型的なロマネスク様式。ロマネスク様式はゴシック(で、これはルネッサンスの前)の前に現れた様式で中世前期。
クグってみると、教会自体が建設されたのは5世紀だそうで、4世紀にコンスタティン皇帝がキリスト教を公認したばかり(と言ってもそこから100年経ってますが)かなり古い起源をもってることになります。公認されて”すぐ”に教会を作ったということは、領主が結構力を持っていたのかな?なんて考えました。人は古代ローマ以前からエトルスク人が住んでいたので、文化的な生活はしていたわけですが。
初代建築は5世紀(つまり長方形のバシリカ形式。ギリシャ神殿に似た形でファサードには柱が並んで、上に三角形の装飾板。)で、現在のものはロマネスクというわけで、10世紀後にファサードを変えたのでしょう。
4、5世紀に建てられた教会は、こうして様々な時代の跡がモザイクのようになっているものが多々あります。建物時代は中世前期。ファサードはロマネスク、祭壇のモザイクはビザンチン、周りの壁のフレスコ画はルネッサンス、天井装飾はバロック様式…などというのがザラです。
4、5世紀に建てられた教会は、こうして様々な時代の跡がモザイクのようになっているものが多々あります。建物時代は中世前期。ファサードはロマネスク、祭壇のモザイクはビザンチン、周りの壁のフレスコ画はルネッサンス、天井装飾はバロック様式…などというのがザラです。

磔のキリスト像
この教会での見どころの一つがこちらの木製、磔のキリスト像。主祭壇ではなく脇にあります。
15世紀のドナテッロ派の作だそうで、何が珍しいのかというと、亡くなった直後を表していて目が半開き、というところが珍しいそうです。
彫刻には近寄れないようになっていて、壁に目が半開きの写真が掲載されていたのでその写真の写真を撮りました。
この教会での見どころの一つがこちらの木製、磔のキリスト像。主祭壇ではなく脇にあります。
15世紀のドナテッロ派の作だそうで、何が珍しいのかというと、亡くなった直後を表していて目が半開き、というところが珍しいそうです。
彫刻には近寄れないようになっていて、壁に目が半開きの写真が掲載されていたのでその写真の写真を撮りました。

街を散策
街を散策します。この街はどの建物もTUFOと呼ばれる凝灰岩でできています。当然、この地域がこの岩石でできているということです。
中部イタリアから南にかけてこの凝灰岩の地層が多く、ナポリの地下都市やシチリアのヴァル・ディ・ノートの黄褐色の凝灰石だけで作ったバロック様式の教会が見事です。
街を散策します。この街はどの建物もTUFOと呼ばれる凝灰岩でできています。当然、この地域がこの岩石でできているということです。
中部イタリアから南にかけてこの凝灰岩の地層が多く、ナポリの地下都市やシチリアのヴァル・ディ・ノートの黄褐色の凝灰石だけで作ったバロック様式の教会が見事です。
建物の様相は中世なので要塞のように頑丈な厚い壁に小さな窓です。この写真の手前にある建物の窓は大きいので、ルネッサンス期に改装したのではないかと思います。中世時代の1000年は法王側と皇帝側に誰もが分かれて争いが絶えなかった時期なので(ロミオとジュリエットの生家が憎み合っていたのもこのせい)建物は侵入しにくく守りやすい造りになってました。
町を散歩してるとあっという間に町外れです。外壁をぐるりと回る道の途中に洞窟。教会として使っていたようです。
住人は11人ほどだそうですが、日中は人口が増えます。ほとんどの建物の一階部分は土産物屋か食べ物屋になっており、そこに働く人が来るからです。ついつい店内が気になるし、そして行った日が日曜でもあったので観光客も多数。他の観光都市と変わらない雰囲気で「死にゆく街」というキャッチフレーズで想像する静かな廃墟の感じはしませんでした。総勢8人で出かけたのも「静けさ」を感じる要素を減らしました。
町を散歩してるとあっという間に町外れです。外壁をぐるりと回る道の途中に洞窟。教会として使っていたようです。
住人は11人ほどだそうですが、日中は人口が増えます。ほとんどの建物の一階部分は土産物屋か食べ物屋になっており、そこに働く人が来るからです。ついつい店内が気になるし、そして行った日が日曜でもあったので観光客も多数。他の観光都市と変わらない雰囲気で「死にゆく街」というキャッチフレーズで想像する静かな廃墟の感じはしませんでした。総勢8人で出かけたのも「静けさ」を感じる要素を減らしました。
こちらは凝灰石のベンチでくつろぐ猫さん。どなたかのおうちの庭です。

送迎電動自動車
橋を渡る方法は徒歩のみ、と最初に書きましたが、健康に問題がある人はバニャレジョ市の役所に連絡すると送迎電動自動車を予約できます。無料です。
サービスを提供するのは全国的ボランティア団体の市民保護団体です。仲間の一人が膝の具合が悪いのでお願いしました。
イタリア国内を旅行すると、その土地の建物のミニチュアを買います。 今回も買いました。このミニチュアを覗き込んだ方が静かな感じが味わえそうです。
橋を渡る方法は徒歩のみ、と最初に書きましたが、健康に問題がある人はバニャレジョ市の役所に連絡すると送迎電動自動車を予約できます。無料です。
サービスを提供するのは全国的ボランティア団体の市民保護団体です。仲間の一人が膝の具合が悪いのでお願いしました。
イタリア国内を旅行すると、その土地の建物のミニチュアを買います。 今回も買いました。このミニチュアを覗き込んだ方が静かな感じが味わえそうです。